监督不行届后记/庵野秀明
原文:
妻の事を、ちと徒然に——
単行本のィンタビユーからすでに10年が経つ。
連載時のラス卜エピドにて、我家に来た猫のジャック欠も気がついたら10歳になっている。
家に猫というか、生き物が居てくれているのは本当にぁりがたいと感じる長くて短い10年だつた。
僕らも、自宅を鎌倉に引つ越レたりまた東京に戻ったり新たに会社を立ち上げたり、夫婦の環境もゅっぐりとめまぐるしく動いていた10年だった。
妻と付き合い始めた頃、彼女は当然のごとく、がむしゃらにひたすらマンガを描き続けていた。
文字通り、心身を削って描き続けていた。
結婚前から心身が摩耗し過ぎていたのか、たまに仕事を数日休む事がぁった。
そんな時、彼女は家の中で隠れる様に独りで泣いていた。その姿を目撃して、僕は彼女の傍に居ようと思った。
彼女は自分の心身を強くしようと時間をやりくりし、色々な努力を重ねていた。
強固なプロ意識から連載も落とさずに描き続けていた。
2002年の春に結婚してからも、妻はブレーキとアクセルを同時に踏み続ける様な仕事の日々を続けていた。妻にとってマンガが、唯一の心の支えだつたからだ。
妻は子供の頃から辛い時期を過ごしている。
周囲から「好き」という心を封印され、「安らぎ」を与えられず、「自信」という心の基礎を構築させてもらえなかった。自分を守る為に常に周囲を見て分析し、自分を優先せず、物事を決めつけず、
最もバランスのいい判断をする術を幼い頃から身につけるしかなく、それが妻のデフォルトとなつたノ 幼い頃から我が儘を言わないし、その場で適切な行動をとれてしまう。
だから、大人から「大丈夫」と放つておかれてしまう。自分を殺す事で生きていた。
妻からそんな子供だつたと聞いている。
2002年のプレィポーィ団地、2004年の東京番外地と、妻が連載していた団地ものが停滞して行った。
団地は妻の過去のイメージから出ている舞台だからだと思う。
妻は自分の事をさらけ出すと、皆から嫌われるという恐怖がそこにぁつたと話す。
ラブ•マスタ— Xの時は、若さと勢いで乗切れていたんだと思う。
その時期、妻は自分が描きたい物語と読者の為に描かなければならない物語の狭間で悩み、混乱していたと思う。
よみよま黄泉夜間(タイトルがまた秀逸)では、
今までマンガで直接的に描く事がなかつた本人と家族の問題に踏み込んでいる。
だがこの作品も一部で岡崎京子さんとの関係と誤解され、
本当の事を吐露する事も出来ず、掲載誌の事情もあって、止まったままになっている。
現実社会を生きていくのに、世間は不条理な事だらけだ。人も見た目や印象だけでかなりの印象や情報f持って行かれる。
だから、女性はどうせなら、綺麗にしていた方がいい、という心持ちで美人画報を描いていた。
その本で勇気づけられ元気づけられた女性の話を各所から多々聞く。妻は本当にすごい事をしている。
だが、中には美人という単語やワンセンテンスな読み方による誤解等から
云われなき誹謗中傷や心なき悪意でネットを通し、ぶつけてくる人たちもいた。 妻はそういうのも自分の説明不足だと反省している。
ネッ卜特有の悪意がしみ込んだ言葉は、どこまでも他者を傷つけて行く。
業も経験しているが、自身と作品に対して真摯に真剣であればあるほど、傷は深い。
作家が作品を世間に出す以上、何を言われてもいいと思う覚悟がなければならないとは感じる。
勝手に潰れる方が悪いとの見方もあるが、憂さ晴らしや無自覚な悪意を無貴任に垂れ流す方にも、非があるかと思う。
妻は子共の頃からの度重なる心身の疲労が度を超えて蓄積していたと思う。
その上結婚という新たなストレスが入り込み、精神的に幼すぎる夫の面倒で、なけなしのエネルギ—を使う事になる。
更に居住や生活について興味が薄い僕が、家の事に関して丸投げしていた事も精神的負担を大きくさせていたと思う。
妻の仕事が少しずつ進まなくなっていった。
妻を「全力で守る」と決心しておいて、僕の精神の幼さと矮小な自己愛からむしろ責めて傷つける事が何度もあった。
その度になけなしのエネルギーをギリギリまで消耗させてしまう。僕が心の余裕をなくし、一方的に感情が暴露する時もあつた。
全くひどい夫だ。それでも、妻はいつも赦してくれた。
その愛情の深さに毎回救われ、感謝している。
妻は常に俯瞰で感情や物事を冷静にみている。
そして、自分の現状が良くない事を状況や他人のせいにしない。
常に自分に向き合い続けている、だから辛い。
読者や編集者や友人に気を使|て、自分に気を使ゎない、損な人生を選ぶ。
妻は頭の回転が早く、洞察力が強く、相手の立場を考えて想像出来てしまうので、相手に寄り過ぎてしまう。
ヒ卜付き合いは苦手で不器用なのに、
呑み会等で他の人が黙っいると自分がその場の雰囲気を鑑みて、自分から無理して気を遣つて話をしてしまう。
マンガもそうだ。自分の本当に描きたい事を描くより、
自分を殺して読者が読んで元気が出る内容を優先して作品を描いてしまう。
30年近く休まずに動いていた事象は、妻の心身を限界まで酷使していた。
でも、そうしないと妻は生きて行けなかつたし、家族の生活も妻が独りで支えるしかなかつた。だから、マンガを描き続けていた。
だが、繊細さと優しさと無理もない弱さ等による、
幼い頃からの積もりに積もつた仕事と私事の様々なス卜レスが、妻に溜まりきつていた。
この時期、無理矢理にでも妻の仕事を減らすべきだつたと、今は後悔する。
2008年の春、妻は体調不良がかなりひどい状態となり、
ついに才チビサン以外の作品の休載を決断した。それはとても辛かつたと思う。
だが、僕は今でもその決断をして良かつたと信じている。
そうしないと彼女自身がどうなつていたかわからないからだ。何度か危ない時がぁつた。
偶然の助けがなかつたら、妻がどうなつていたかわからない…。
もうマンガを描かなくてもいい、生きていてくれるだけで良かつたと本気で思つた。
働きマン等をどうしても描き続けられなかつた妻が、無理してでも続けた唯一の連載となるォチビサンには、
疲れたヒ卜を癒したい、自分も癒されたいという想いから作られていた。だから、描き続けていられたと思う。
妻はしばらく鎌倉に引き蘢つて描いていた。鎌倉にまだ残つていた自然の力に助けられ乍ら描いていた感じがする。
ギリギリのところで画を描く表現を続けて行く事が出来た。
どんなに苦しくても才チビサンを描き続ける事にこだわり、としうよりしがみつしてした。
全面的に休んだ方が、体調復帰が早かったかも知れない。だが、その時は妻はもう、画を描く事を止めていたと思う。
彼女の心を支える唯一のマンガを描く事を止めてしまっていたと思う。
その時は、もしかしたら最悪の状態に至っていたかも知れないと感じる。
ォチビサンやパンくいの仕草や表情は妻にとても似ている。時々突飛な顔をするところや可愛らしい仕草が、妻にも多々ある。
ナゼニみたいな聡明で素直な視点での美しい日本の日常を描き続けていた事が、妻を最悪の状態から遠ざけてくれていたと感じる。
改めて、妻が生まれて来てくれて、そして死なないでくれて本当に良かったと思う。
休養してからも心の底から、辛い時期が何年間もあった。
数年かけて、少しずつ気力を取り戻して行き、少しずつ画を描いて、少しずつマンガを描き始められる様になった。
鎌倉春秋でイラストとエッセイの連載が出来る様になった。
鼻下長紳士回顧録を描こうと決めてからも、何度もネームをやり直し幾度も描いた原稿を捨てていた。
再び鼻下長紳士回顧録を、連載マンガを描き始める事に、妻は2年以上も悩み続けていた。
そして、2013年秋に鼻下長紳士回顧録の連載第1回を脱稿してくれた時は涙が出た。妻のエージェントである佐渡島君も泣いていた。
もう一度マンガを描いてくれて本当に良かった。連載が続いてくれて本当に良かったと思う。
妻のマンガには彼女の心の全てが詰め込まれている。
洗練されたり、荒いままだったり、掲載誌の性質に合わせたり、エンタ—テイメントとしてのバランスを失わない様に
ギリギリのところで踏みとどまっていたり、僕の知っている妻の人生そのものだと感じる。
自分を殺して描いていても、そこには妻しか描けない、妻の人生と業が漏れ出し溢れかえっているからだ。
僅かでも世の中の役に立てばと、自分の魂を削って他人の為の娯楽作品を描く。その行為はなかなか出来る事じゃない。
妻の作家として作品への取り組み方のスタンスは、アニメ監督の宮崎駿氏によく似ている。
自分さえ好ければ、という作家だらけの中で、孤独その先に行こうとしている。
物書きは常に孤独だ。だから妻は孤独と常に戦っている。
妻の描いた、ツンドラブルーアイス、さくらん(タイ卜ルがまた秀逸)、ジェリービーンズ、働きマン、カメレオン•アーミー、ラブ•マスタ—X、脂肪と言う名の服を着て(タイトルがまた秀逸)、よみよま 黄泉夜間(タイトルがまた秀逸)、
そしてハッビー•マニア(タイトルがまた秀逸)を読むと、
妻の人生の喜怒哀楽も希望も絶望も全てがギユッと詰まつていて、今はただ涙してしまう。
是非、妻のマンガを読んで、読み返して欲しい。笑いの中に、心に深く響く行動と言葉が詰まつている。
だから、読者を虚構に逃げ込む事なく、現実の中で元気づける事が出来ていた。
皆様に改めて、その面白さや感動を味わつて欲しい。
最後に、この場をお借りして妻への私事を少し。
安野光雅先生や鹿島茂先生とお会いする時のはにかんだ緊張をにじませている表情が好きです。
グッドアイデイアを思い付いた時にする、マンガを遥かに越えた無防備で素つ頓狂なポーズが好きです。
カメラを向けたとき、誰かと一緒だとポーズをとつてサービスするのに、一人だと恥ずかしがつて逃げるところが好きです。
時々庭の草木を眺め乍ら、ぼ—つとしている横顔が好きです。
大好きな食べ物をロに入れた時の目をつぶつて喜ぶ仕草と、そのままほおばつている時の嬉しそうな口元が好きです。
愛おしそうにジャックを撫でている時の、なだらかな背中が好きです。
山道や海岸や近所の公園や街を歩いている時の、楽しそうな姿が好きです。
普段は嫌がつていても、たまにファイヤーフマンの主題歌を自然に口ずさむオタ嫁な部分が好きです。
錠剤を飲み込む時のコクッと上げる顎が好きです。
「おなかすいた!」「ねむたい」等の口癖や「おはよう!」「おやすみなさい」等の可愛い話し方が好きです。
掃除や洗濯、庭の手入れや炊事等、せっせと家事をしている雰囲気が好きです。
知らない花や虫を見つけた時にハンドブック片手に夢中で調べている格好が好きです。
忘れ物を取りに戻つた時のテケテケと歩く姿が好きです。
よくわからないと口ではいい乍らも、誕生日に鉄道模型や鉄道写真集をプレゼントしてくれる理解ある行為が好きです。
時々僕宛の力ードやメモに書いてある、優しいイラストと綺麗に並へられた言葉力好きてす。
本やマンガを読んでいる時の真剣な眼差しと目に合わせて動く細かな本の動きが好きです。
ネームを描いている時の、研ぎすまされた真摯で純粋ですごく綺麗な眼が好きです。
マンガを描いている時の、適切な線を選んで行く勢いと繊細さが混じった動きをしている手元が好きです。
僕が描く事が出来なかった、虚構に逃避せず現実と調和をとり乍ら前を向いて生きる妻の世界観が好きです。
無防備な小さな子供と現実的な大人がいる、妻の心の中が好きです。
妻の描く、マンガが好きです。
美しい虫や鳥や植物が好き。草木と古い街並が好き。本が好きで、美味しい食べ物が好き。自然で調和された世界が好き。
そんな妻が好きです。
アホで幼稚なオタクな夫とこれまでずっと一緒にいてくれて、ありがとう。
そして、これからも仕事で忙しくて3ヶ月くらい家に帰らず、
偏食で、わがまま云い続けると思ぅけど、命ある限りよろしくお願いします。
そしてこの機に、世間の方々に一人でも僅かでも必死でマンガを描き続ける、妻の事を少しでも知ってもらえたら幸いです。
色々と拙い夫婦ですが、皆様、何卒よろしくお願いします。
安野モョコの夫や、監督等
庵野秀明
中文译文:
(感谢宅女阿猫)
关于妻子,容我多言几句——
从之前单行本的访谈至今,已过了十年。
在连载当时最后一篇登场,来到我家的猫咪jack不知不觉也十岁了。
在这看似漫长又十分短暂的十年中,能够和猫咪或者该说是条小生命在一个屋檐下生活,真的很有福气。
这十年当中,先是搬家到镰仓,又搬回东京,成立了新的公司等等,我们夫妻俩的生活环境一步一步改善了;
而现在回头看看,才发现变化之大真是令人目不暇给。
我和妻子刚开始交往时,她心无旁骛、全心全意投入漫画的创作中。
如同字面上的意思,她费尽心力画着一页又一页。
从结婚前开始,或许是过度消耗心力的缘故,有时候她得停笔休息好几天。
每当发生这种情况,她总是一个人躲在家里哭。我看见她这副模样,便产生了想陪伴在她身旁的念头。
她逼着自己坚强起来,想尽各种办法把浪费掉的时间补回来。
为了不让连载开天窗,以强悍的职业精神坚持画下去。
从2002年春天结婚以来,妻子她仿佛同时踩着刹车和油门般,日复一日地工作。
因为对妻子来说,漫画是唯一的心灵支柱。
妻子从小就经历了一段艰辛的时期。
因为身边的人,让她把「喜欢」这种情绪封闭起来,也得不到「安心」,连心灵的基础「自信」也无法建立起来。
为了保护自己,她总是在观察周遭并加以分析,不以自己为优先,从不主动表达己见,从小唯一学会的,就是遇事能找出最圆滑的解决办法,那已经成了她的本能。
从小就不会闹脾气,会下意识地看情况采取最适当的行动。
所以大人也觉得她很乖巧「不用多管」,就这样压抑自我,渐渐长大。
2002年的《playboy社区》、2004年的《东京番外地》,以及妻子其他关于集体住宅题材的连载都中途喊卡。我想大概是因为集体住宅就是妻子将自己的过去转化出来的故事舞台吧!
妻子把自己的过往摊在阳光下,那种被众人所厌恶的恐怖感受也重新冒了出来。
画《恋爱专家x》的时候,或许还能靠着年轻气盛去克服这个难关。
而在那段时期,妻子夹在自己想画的故事以及为了读者而画的故事之间,十分苦恼,无所适从。
在《黄泉夜间》(命名依然出色)里,触及以往在漫画中从未直接描写过的本人与家人之间的问题。
但是这部作品的部分内容也造成了外界对她与冈崎京子女士之间的关系产生误解,再加上她难以澄清真相,连载的杂志恰巧又遇上问题,只能暂时就此打住。
在现实社会中生存,会发现世上充满各种不合理的事。而以貌取人或是以第一印象判断也成为一种常态。
既然这样,那么女性还是打扮漂亮一点比较好,妻子便抱着这样的想法画了《美人画报》。
但是,一些人只看到美人这个词,或是用断章取义的方式去阅读而形成误解,便在网络上发表不当的诽谤中伤,传达无情的恶意。
面对这些讯息,妻子也认为这是自己表达不够完整而暗自反省。
网络特有的暗讽语言会让人伤得很重:我也曾有过这类的经历。
对自己的作品越真挚投入,就会伤得越深。
我觉得,作家将作品公诸于世,就必须有接纳各种批评的觉悟才行。
虽然有时是作家的问题,但我觉得,将抱怨或无自觉的恶意不负责任地四处散播的人,也许也需要检讨。
妻子从小就不断累积了过重的身心疲劳。
接着又多了结婚这项压力,还要照顾精神层面过于幼稚的丈夫,持续在消耗那所剩无几的精力。
而对于居住及生活漠不关心的我把家事全都抛给她,想必也对她的精神造成极大负担。这让妻子的工作渐渐陷入瓶颈。
虽然我下决心要「全力守护她」,却因为我精神上的不成熟以及狭隘的情感观念,反而伤了她好几次。
而我的每一次冒失都让她几乎见底的精力消耗殆尽。我也曾失去过耐心,露出自私的一面。
我真是一个糟糕的丈夫。即使如此,妻子总是会包容我。
她真挚的爱情每一次都拯救了我,实在令人感激。
妻子总是以置身事外的角度冷静地审视感情和食物。
察觉自己的现状不佳时,绝不会归咎意外或是他人。
她总是正视自己,所以才过得辛苦。
她会替读者、编辑和朋友着想,却不会为自己多想想,选择了损己利人的人生道路。
由于妻子脑筋动得快、观察力强,总是下意识地从对方的立场设想,做事常常太过于偏向对方。
明明不善于人际交往、拙于应对,却会在聚会陷入一片沉没时,看气氛不对就勉强自己跳出来讲讲话。
漫画也是如此。相较于自己想画的题材,她总是会压抑自我,优先选择画出让读者看了之后能打起精神的内容。
持续近三十年的忙碌不休,让妻子的身心濒临极限,但是不这么忙的话,妻子也无法撑下去,而且家人的生活也全靠她一个人维持,所以她还是不停画着漫画。
可是也因为内心纤细、温柔而且脆弱,让那些从小到大、来自公私两方的各种压力不断地累积在妻子身上。
我到现在仍然后悔,当时就算采取强硬手段也好,应该当机立断让妻子开始减少工作量。
到了2008年春天,妻子的健康恶化到相当严重的地步,最后决定将《小不点》以外的作品全面休刊,我想她心里一定很难过。
但我直到现在依旧相信这个决定是对的,否则还不晓得她会发生什么问题。中间也曾遇上过几次危机,如果不是恰好得到帮助,还不晓得妻子会怎么样…
就算不再画漫画也好,只要她能活下去就好;当时我发自内心这么想。
当时诸如《工作狂人》等连载作品都完全无法下笔的妻子,即使勉强自己也要坚持画着唯一一部连载《小不点》,她当初创作这部作品是希望能借此抚慰读者,同时也抚慰自己,所以才能够继续画下去吧。
于是妻子暂时隐居在镰仓作画,总觉得似乎是镰仓仍未消逝的自然之力在帮助她画画。
在跌跌撞撞之中,她终于能继续画下去。
无论多么辛苦仍然持续画着《小不点》,与其说是坚持,更像是在撒娇不愿放手吧。
若是完全停笔好好休息,也许能早一点恢复健康,可是等到复原的那一天,我想妻子也就不会再拿起笔作画了。
我觉得若是真的有那么一天,或许也等于陷入无法挽回的状态了。
开始休养之后,一连好几年都是我们感到非常难熬的时期。
花费数年后,她稍微恢复一点精神,稍微画一些图,开始可以画一些漫画。后来能够在镰仓春秋连载插画与随笔了。
当她决定要动笔创作《好色绅士回顾录》之后,我看见她重画了好多次分镜,丢掉无数张原稿。
关于《好色绅士回顾录》、也就是重新开始进行漫画连载这件事,她已经烦恼了两年以上。
而在2013年秋天,终于完成《好色绅士回顾录》连载第一回的原稿时,妻子流下了泪水,而她的经纪人佐渡岛也哭了。
她能够再一次画起漫画真是太好了,能够继续进行连载真是太好了。
妻子的漫画中,凝聚了她心中的一切。
有时洗练、有时狂放、有时小心维持娱乐性、有时为了符合刊载杂志的形象。
同时试探着表现上的极限,感觉上就像我所认识的妻子她的人生写照一般。就算是压抑本性去创作,也是只有妻子才画得出来的作品,因为她的人生和过往努力的成果都会不知不觉地表现在其中。
只要能为这世界做出一点点贡献也好,她燃烧自己的灵魂画出献给读者的娱乐作品。这样的行为是值得赞赏的吧?
妻子以作家的身份进行创作时,她认真努力的态度和动画监督宫崎骏先生十分相似。
大多数作家都抱持着「只要连自己也能喜欢就可以」的理念,而她选择面对孤独向前开拓。
创作者是孤独的,所以妻子她也经常与孤独奋战。
妻子所画的《tundra blue ice》、《烟花梦(恶女花魁)》(命名依然出色)、《jelly beans 霓裳魔法家》、《工作狂人》、《chameleon amy》、《恋爱专家x》、《穿着命名为脂肪的衣服》(命名依然出色)、《黄泉夜间》(命名依然出色),以及《happy mana 恋爱暴走族》(命名依然出色),读过这些作品之后,感觉到她人生中的喜怒哀乐、希望、绝望,一切尽在其中,此时不禁令我潸然泪下。
希望大家能去看看、或是重温一次妻子的漫画,会发现在欢笑之中,登场人物的言行举止都会带来深深的感触。如此才能使读者在现实中重振精神,而非逃入虚拟世界中。
再次希望大家能去细细体会这些作品中的趣味和感动。
最后借用这个场合向妻子说一些私事:
我喜欢你在我们与安野光雅老师及鹿岛茂老师见面时,那略带羞涩紧张的表情。
我喜欢你想到好点子时,那种远远超过漫画的表现,毫无防备而癫狂的动作。
我喜欢你面对镜头时,明明和别人合照都很大方,若是独照就会害羞到逃走。
我喜欢你偶尔望着庭院草木而出神的侧脸。
我喜欢你把爱吃的食物放进口中、眯起眼睛的样子,还有双颊塞满食物时,看起来很开心的嘴角弧线。
我喜欢你大发母性轻抚jack时,那令人心安的背影。
我喜欢你到山上、海岸、附近的公园散步时,十分享受的样子。
我喜欢你平常摆出不喜欢的姿态,偶然间听到《火炎人》主题曲却会自然地跟着哼起来,属于宅妻的那一部分。
我喜欢你吞下药锭时,突然抬起来的下巴。
我喜欢你老是念着「我好饿!」「好想睡」的口头禅,还有像「早呀!」「晚安咯」等等的可爱说话方式。
我喜欢你在打扫、洗衣、整理庭院、煮饭等等,俐落地做着家事的那种气氛。
我喜欢你发现不认识的花朵昆虫时,一手拿着图鉴专心查询的模样。
我喜欢你回去拿忘了带的东西时,小碎步走路的样子。
我喜欢你嘴上说着搞不懂我,到了生日却会送我铁路模型和铁路写真集那种知己般的行为。
我喜欢你不时写给我的卡片或便条上,那些让人心暖暖的插画和写得很整齐的话语。
我喜欢你看书和漫画时认真的眼神,以及配合视线微微调整书本的小动作。
我喜欢你画分镜时,那双真挚、纯粹、透彻又十分动人的眼睛。
我喜欢你绘制漫画时,为了画出合适的线条,既大胆又不失纤细的手部动作。
我喜欢自己画不出来的、妻子所创造的那种不会让人逃进虚拟之中的现实,以及乐观积极的态度所组成的世界观。
我喜欢由小小朋友的不设防与大人的现实共存的妻子的内心。
我喜欢妻子所创作的漫画。
喜欢美丽的虫鸟、喜欢草木与老街、喜欢书本、喜欢美味的食物、喜欢由大自然所调和的世界;我喜欢这样的妻子。
谢谢你一直陪伴着愚蠢又幼稚的阿宅丈夫到现在,
而今后也可能因为工作太忙三个月不回家、
还会偏食、会继续任性,但在我有生之年,还得麻烦你多多照料了。
此外,若是能借着这个机会,让诸位能够稍微了解我这位独自拼命画着漫画的妻子,便是最大的幸事。
我们这对笨手笨脚的夫妻,还请各位多多关照。
安野梦洋子的丈夫、监督等
庵野秀明